オススメ度
生糸貿易により財を成した実業家の原三溪によって造られた日本庭園で、1906年(明治39年)に公開されました。
敷地内には各地から移築された歴史的建築物など17棟があり、そのうち10棟は国の重要文化財となっています。
1923年 (大正12)に関東大震災により一部の建物が倒壊・損壊。1945年 (昭和20)には空襲で大きな被害を受けます。
その後、三溪園は原家から横浜市に譲渡・寄贈されます。復旧工事が行われ、1954年 (昭和29年)に外苑が、1958年 (昭和33年)に内苑が公開されました。
その後も歴史ある建物の移築や、復元が行われ、また新たに三溪記念館の開館などを経て、2007年には国の名勝に指定され、現在に至ります。
内苑は原家が私邸として使用していたエリア。外苑は1906年 (明治39年)に一般向けに公開されたエリアです。
三渓園の人気は歴史的価値のある建物だけではありません。起伏のある地形、四季折々の緑や花と、建造物の見事な調和を写真に収めようとカメラを手にした人が多く集まります。
広々とした敷地内には、桜や藤、紫陽花、蓮、銀杏、紅葉、梅、などが丁寧に手入れされており、ライトアップが行われる紅葉と桜の季節には特に多くの人で賑わいます。
三溪園の見どころピックアップ
臨春閣 (りんしゅんかく) 【重要文化財】

1649年 (慶安2年)に、現在の和歌山県岩出市の紀ノ川沿いに建てられた紀州徳川家の別荘と考えられています。
その後、大阪市に移されていたものを1906年 (明治39年)に原三溪が譲り受け、1917年 (大正6年)に移築が完了しました。原三溪が実に11年もの時をかけて考えた配置は内苑の中心的な景観となっています。
聴秋閣 (ちょうしゅうかく)【重要文化財】

1623年 (元和9年)、徳川家光の上洛に際し二条城内に建てられました。その後、家光の乳母であった春日局がこれを与えられたといわれています。三溪園へは1922年 (大正11年)に移築されました。原三溪は辺りに紅葉を配し、その名を聴秋閣 (ちょうしゅうかく)としました。
旧燈明寺三重塔 (きゅうとうみょうじさんじゅうのとう)【重要文化財】

1457年の室町時代に建てられた三渓園で最も古い建物です。三溪園へは (1914年)大正3年に京都より移築され、池泉の向こうの小高い丘に建てられました。臨春閣や聴秋閣からの眺望の美しさまでが計算された配置になっています。
その他の建築物
■鶴翔閣 (かくしょうかく) 旧原家住宅【横浜市指定有形文化財】
1902年 (明治35年)に原三溪が自らの住まいとして建てた、園内でもひときわ大きな建物です。震災・戦災で大きく改変されてしまいましたが、1998年から2000年に行われた修復工事によって元の姿に復元され現在に至ります。
鶴翔閣は一般にも貸し出しがされており、結婚式、茶会、演奏会、 撮影などで利用する事が出来ます。
■林洞庵 (りんどうあん)
1970年 (昭和45年) に宗徧流林洞会 (※茶道の流派の一つ)から三溪園に寄贈された茶室。
■旧矢箆原家住宅 (きゅうやのはらけじゅうたく)【重要文化財】
江戸時代後期に建てられた合掌造りの民家で、1960年 (和35年)に飛騨白川郷より移築されました。格式の高い現存する合掌造りでは最大級の建物です。囲炉裏では毎日火が焚かれ、煙の香りに昔の暮らしが思い浮かばれます。
■三溪記念館
三溪園の創設者・原三溪に関する資料や、ゆかりのある作家の作品、美術工芸品などが展示されています。
全部で17棟ある建築物はどれも歴史的な佇まいを楽しむ事ができます。
年間を通じて様々なイベントが楽しめる
三溪園では年間を通じて様々な行事が行われます。
公式サイト・年間スケジュール:https://www.sankeien.or.jp/entertainment
※イベントの中止や期間・内容のが変更される場合があります。必ず公式サイト等で確認してください。
1月 | ・和妻(わづま)や筝曲演奏、普段は見る事が出来ない建物内部を特別公開など、日本文化に触れる事が出来る。(1日~3日) ・第31回三溪園フォトコンテスト入賞作品展:選ばれた入賞作品46点を展示。(1月1日~3月8日) ・盆栽展:松柏類、雑木を中心とした盆栽約40点が展示。(9日~23日) |
2月 | ・観梅会:珍しい種類の梅を含む約500本が見ごろとなる。(2月上旬~3月上旬) |
3月 | ・俳句展:園内の投句箱に寄せられた句の中から優秀作品を展示。著名俳人が三溪園で読んだ句も。(3月上旬~5月下旬) ・観桜の夕べ:桜の見ごろとなった期間中は閉園時間が21:00まで延長され、ライトアップの演出がされる。(3月下旬~4月上旬 ※開花状況に合わせ、開催日が決定します。 ※入園は20:30まで) |
4月 | ・新緑の遊歩道開放:普段は閉じている聴秋閣の奥に広がる遊歩道が開放され、新緑を楽しめる。(4月上中旬~5月上旬頃) ・さくらそう展:古典園芸植物の一つである桜草が約150点の展示。(4月中旬頃) |
5月 | ・さつき盆栽展:樹齢数十年のさつきの盆栽など、約60点を展示。(5月下旬~6月上旬頃) |
7月 | ・早朝観蓮会:期間中は7:00から入園可能で、咲いたばかりの蓮の花を観賞できる。(7月中旬~8月上旬頃) ・朝顔展:様々な品種の朝顔約40点を日替わりで展示。(7月末頃) |
8月 | ・三溪園で楽しむ夏休み 横浜市指定有形文化財 鶴翔閣公開(8月中旬頃) |
9月 | ・観月会:中秋の名月と共にライトアップされた三重塔をはじめとした建造物を楽しむ。日替わりの催しも開催。(9月中下旬頃) |
10月 | ・菊花展:菊花約500点を展示。江戸時代から伝えられる古典菊は非常に珍しく一見の価値あり。その他菊にまつわるイベント等も開催。(10月下旬~11月上旬頃) |
11月 | ・紅葉の遊歩道開放:聴秋閣の奥の遊歩道が開放され、紅葉を楽しめる。(11月下旬~12月中旬頃) |
観月会

中秋の名月を楽しむ観月会では、三重塔や庭園、建造物がライトアップされ、建物内では日本舞踊などの催し物が催されます。
観桜の夕べ

3月下旬~4月上旬の桜の開花時季に合わせて、三重塔などの建造物や桜のライトアップが行われます。
浮かび上がる幻想的な三重塔と、桜のコラボレーションは圧巻です。
三渓園で楽しむ事ができる花や樹木
春
サクラ (桜)
ユキヤナギ (雪柳)
ヤマブキ (山吹)
シャガ (著莪)
フジ (藤)
ツツジ (躑躅)
サツキ (皐月)
夏
スイレン (睡蓮)
ハナショウブ (花菖蒲)
アジサイ (紫陽花)
ムクゲ (木槿)
フヨウ (芙蓉)
ハス (蓮)
秋
ハギ (萩)
ヒガンバナ (彼岸花)
イチョウ (銀杏)
モミジ (紅葉)
冬
スイセン (水仙)
ツバキ (椿)
ウメ (梅)
三溪園インフォメーション

オススメ度
名称
三溪園
住所 [Google Map]
〒231-0824 神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1
営業時間
9:00 – 17:00 (入園は閉園の30分前まで)
定休日
無し
入場料金
¥700 (大人 高校生以上)
¥200 (中・小学生)
駐車場
有り 混みあう場合があるので公共交通機関の利用がおすすめです。
公式サイト
https://www.sankeien.or.jp/
施設サービス情報
このアイコンはなに?
三溪園への行き方
三渓園の最寄りの電車の駅は山下駅もしくは根岸駅となりますが、そのどちらからも三渓園の南門まではおよそ2.4km程あり、徒歩の場合は約30分の時間を要します。タクシーを使用するか、横浜駅、桜木町駅、元町・中華街駅、根岸駅からバスで三渓園に行くことをおすすめします。
横浜駅からバスを利用する場合

どちらのバスも横浜駅東口バスターミナル2番乗り場より乗車します。
土・日・祝日は<ぶらり三渓園BUS>を利用すると三渓園の入場口すぐの場所で下車でき、便利です。
桜木町駅からバスを利用する場合

どちらのバスも桜木町駅バスターミナルの2番乗り場より乗車します。
土・日・祝日は<ぶらり三渓園BUS>を利用すると三渓園の入場口すぐの場所で下車でき、便利です。
元町・中華街駅からバスを利用する場合

みなとみらい線の元町・中華街駅から4番出口より地上に出たすぐのところにある山下町バス停より乗車します。
根岸駅からバスを利用する場合

根岸駅前のバスターミナル1番乗り場より乗車します。
三溪園の周辺スポット
-
横浜ランドマークタワー:展望フロアから眺める横浜夜景は一見の価値あり!
横浜の街の象徴となっているタワーの69階は展望フロアとなっており、横浜の街並みやクルーズ船が行きかう港ならではの景色を楽しむ事ができます。 -
横浜中華街:食べ歩きグルメ、占いなどが楽しめる神奈川有数のデートスポット
横浜中華街は、神奈川県横浜市中区にある日本最大の中華街です。 横浜の中心部にあり、好立地なことから観光客だけではなく、休日のちょっとしたお出かけや、デートや会社帰りに立ち寄る人などでも賑わっています。 -
横浜 三溪園:紅葉シーズンもおすすめ!数々の歴史的建築物を有する日本庭園
生糸貿易により財を成した実業家の原三溪によって造られた日本庭園で、1906年(明治39年)に公開されました。10棟の重要文化財を保有し、2007年には国の名勝に指定されています。建築物と起伏のある地形、四季折々の緑や花の調和が見事です。 -
横浜赤レンガ倉庫:沢山のイベントが催されるショッピングスポット
明治末期から大正初期に建てられた赤レンガ倉庫は1989年に保税倉庫としての役目を終えましたが、その後2002年に文化・商業施設として生まれ変わり、現在ではそのレトロな佇まいは、みなとみらい21地区の象徴ともなっています。