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白漆喰の鮮やかな城壁と、シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれる姫路城は、1993年12月に奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。
幕末の動乱や第二次世界大戦で焼夷弾が直撃するなどの被害にあいながらも、築城されてから一度も甚大な被害を受けることがなかったことから『不戦の城』とも呼ばれ、400年以上が経過した現在でも美しい姿を残しています。
姫路城の歴史

姫山の地に初めて砦が築かれたのは1333年、赤松則村氏の時代といわれています。以来、13氏・48代が城主を務めた歴史を持ちます。
なお、現在の姫路城の大天守は慶長14年(1609年)に建築されたものであり、西国統治の重要拠点として羽柴秀吉、池田輝政、本多忠政が拡張し、いま見られる全容が整ったのは戦乱の世が落着いた1617年のことです。
宮本武蔵の伝説が残る刑部神社

姫路城の大天守最上階にある刑部神社には、かの剣豪 宮本武蔵の伝説が残っています。
宮本武蔵の妖怪退治伝説
木下家定が城主であった時代、城に妖怪が出るという噂が広まりました。
そのとき姫路に立ち寄った宮本武蔵は木下家にとりたてられ、妖怪退治を命じられます。
ある夜に武蔵が番をするため天守閣に登ると、3階と4階ですさまじい炎が吹き降り、地震のような音と揺れがおこります。
武蔵がひるむことなく腰の太刀に手をかけると、辺りは元の静けさに戻りました。
そのまま武蔵が明け方まで番をしていると、美しい姫が現れ「われこそは当城の守護神、刑部明神なり。その方がこよい参りしため、妖怪は恐れて退散したり。よって褒美にこの宝剣を取らす。」といって姿を消しました。武蔵の前には白木の箱に入った郷義弘の名刀が残されていたということです。
「1枚、2枚…」美女の亡霊伝説が残るお菊井戸とお菊神社

城内の上山里丸と呼ばれる広場にある「お菊井戸」が、有名な「播州皿屋敷」に出てくる井戸だといわれています。
播州皿屋敷
永正年間のこと、青山鉄山という男が城の乗っ取りを計画します。
これに気づいた忠臣の衣笠元信は、乗っ取りを阻止するため愛妾のお菊を青山家に女中として送り込みますが、努力のかいもなく乗っ取りは成功します。
お菊は青山家に残り、逃れた衣笠元信に情報を送っていましたが、それを町坪弾四郎に気づかれてしまい、それを盾に結婚を迫られます。
しかし、お菊は頑として首を縦に振らず、腹を立てた町坪弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末として責め殺して井戸に投げ込みました。
それからというもの毎夜、「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったといいます。
その後、元信ら忠臣によって青山鉄山の一味は滅ぼされ、お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内にあるお菊神社に祭られています。
姫路城インフォメーション
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名称
姫路城
住所 [Google Map]
〒670-0012 兵庫県姫路市本町68番地
営業時間
9:00 – 18:00 入城は16:00まで(4月 – 8月)
9:00 – 17:00 入城は17:00まで(1月 – 3月/9月 – 12月)
定休日
12月29日 – 30日
入場料金
¥1000 (大人)
¥300 (小学生 / 中学生 / 高校生)
小学校就学前は無料
現金以外の支払い方法
クレジットカード
電子マネー
iD / nanaco / 楽天 Edy / WAON / 交通系ICカード / QUICPay
駐車場
周辺に複数有り 詳細は公式サイトのアクセスよりご覧ください。
公式サイト
https://www.city.himeji.lg.jp/castle/
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