大浦天主堂:国宝の美しい教会は日本のキリスト教の歴史を語り継ぐ

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大浦天主堂は幕末の開国にともない、1864年に在留外国人のために建設されました。
正式には「日本二十六聖殉教者聖堂」と言い、1862年に二十六人の殉教者たちが聖人に列せられたのを受け、捧げられた教会です。そのため、大浦天主堂は殉教の地である西坂に向けて建てられています。

目次

大浦天主堂の歴史

フランス人のフューレ神父が1863年1月22日に来崎し、現在天主堂が建つ土地を入手しました。
そして、フューレ神父に続いて同年8月に来崎したプティジャン神父に天主堂の設計図を示し、「二十六聖殉教者聖堂」と命名する考えを伝えます。
翌年1月熊本県天草出身の請負人の小山秀之進と契約し着工、1864年12月29日に竣工、翌年1865年2月19日に荘厳な献堂式が行われました。
レンガ造りで表面を白漆喰で仕上げたこの教会の建設費は、現在に換算すると4億円前後の工事費であったとみられます。

大浦天主堂と日本二十六聖人

日本二十六聖人とは?
豊臣秀吉のキリシタン禁教令により日本人20名、外国人6名が捕縛、1597年2月5日長崎西坂の丘で処刑されました。
その26人の聖殉教者達は、1862年にピオ9世教皇により聖人の尊称を献上され、全世界でカトリック全教会信徒の尊崇を受けることになりました。

大浦天主堂と信徒発見

信徒発見とは?
1864年大浦天主堂が完成した約1ヶ月後の3月17日に、珍しい西洋風の建物を一目見ようと、大勢の見物人が来ていました。その客の中に紛れて、浦上の潜伏キリシタンたちもやって来ていました。
そして、聖堂内で祈るプティジャン神父に近づき、「私たちもあなたと同じ信仰をもっています。マリア像はどこですか?」と信仰の告白をすると、神父は神に感謝し、一団をマリア像の前に導きました。
それにより、250年もの期間キリシタン弾圧から逃れ、表面は仏教徒を装いながらも、代々伝え聞いた信仰を守り通してきた、潜伏キリシタンと呼ばれる信徒たちが明らかになったのです。

大浦天主堂インフォメーション

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名称
大浦天主堂
住所 [Google Map]
〒850-0931 長崎県長崎市南山手町5-3
営業時間
8:30 – 18:00 (3月 – 10月)(拝観受付・最終入場は 17:30まで)
8:30 – 17:30 (11月 – 2月)(拝観受付・最終入場は 17:00まで)
定休日
年中無休
入場料金
¥1000 (大人)
¥400 (中学生 / 高校生)
¥300 (小学生)
現金以外の支払い方法
不明
駐車場
無し
公式サイト
https://nagasaki-oura-church.jp/
施設サービス情報
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その他の情報
敷地内及び建造物は、国宝・重要文化財・県有形文化財のため、特段のバリアフリー対策はありません。

大浦天主堂へのアクセス

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